本を読むということと、ゲームをするということの違い
私は小説は好きだ。
好きだといっても、一日に一冊読むようなジャンキーというわけでもなく、平均的に見れば二ヶ月程度に一冊くらいのペースで読む。
平均的にという但し書きをつけたのは、それは私が何らかの交通機関を使用して遠方の土地へと移動する際に、その時間を持て余すことから読んでいるという程度だ。
だから、別に毎日毎日、今日はこの新刊が出た。あるいは来月こんな本が出るなどというチェック活動はさっぱりしていない。
そう、ゲーム探しをしているような情熱を、私は本に対しては傾けていない。
本を読むという行為、ここではこれを読書の習慣と名付けよう、については前段で述べたとおりゲーム程の情報収集を行っていないといったが、ここで私はある疑念を抱いた。
読書の習慣と、ゲームをする習慣を同列に扱ってよいものだろうか?
では、両者の違いは一体何なのだろうか?




まず、読書の習慣についてだが、読書というより、本自体はいったい人間の趣味の中ではどのような位置づけとすべきだろうか?
本にも種類は色々ある。
過去の知識の蓄積である本があったり、あるいは時事問題に対する問題提起書であったり、ゴシップネタに特化したものがあったり、おっしゃれに関するものがあったり、
それは全てをあげつらうことが困難なほど、本で溢れている。
人間は実に短命な生き物だが、その人間の経験と知識は、後々の世に語り継がれるべく本となって生き続ける。生物という種の観点からすると、私たちは常に進化する生き物だといえるだろう。
それが私たちと猿との根本的な違いだ。
とまあ、本は人間の趣味という一くくりでは簡単に表せないほど、奥が深い。
ましてや、すべての地球上の人間にとって、この本というものはあらゆる分野で関わってくるため、それのすべてを把握することなど全知全能の神にしか無理だろう。
ということは、本を読むということは、私たちにとっては空気を吸うようなものであり、必要不可欠である事だといえるだろう。




それに対して、ゲームは本ほどの重要性はないに違いない。
別に無くても生きていけるし、ある意味タバコと同じようなものかもしれない。
ゲームには二種類ある。
人と一緒に遊ぶゲームと、一人で遊ぶゲームだ。
こんなブログを作っていることからも自明だが、私は前者のゲームが大好きだ。
私がゲームをしつづける理由、それは自分が楽しめると共に、周囲との一体感を得るための二つがある。
それが世界の冒険だったり、あるいは旅の仲間とのコミュニケーションだったのかもしれない。
しかし、それらを得るためには、常に最新の情報を得なければならない。
この特殊なゲームであろうMMOは、本を読むなどの嗜好とは異なり、常に最新の情報が無ければよい作品には出会えないからだ。
さらに本とは違い、たった数年立つだけで、有名なゲームはもはや過疎化の運命を辿る。
MMOでのUOや、EQは今どうなっている?
それに対して、本なら2000年前の代物でも十分大丈夫ではないか?
現に私は2000年前に司馬遷により編纂された史記だって好きだし、古いからといってその本の価値が落ちることは無い。
本のほうがすごいんじゃないか?
む、今良く考えたら、一人で遊ぶゲームは数年立っても大丈夫そうだなと思ってきた。
ということは、MMOというものだけ特殊なのか?



結論としては、読書の習慣とMMOゲームを同列に扱うことは、おかしいということだ。
それは、一人で遊ぶものと、人と遊ぶものとの違いなのだろう。
どんなに素敵な出会いがあって、素敵な冒険が出来たとしても、それは2000年経つまでも無く、たった数ヶ月で人の記憶から忘れられ、そして記録にも残ることも無い。
ただ、人間の深層心理にうずもれ、100年以内には私たちの軌跡など綺麗さっぱりなくなってしまう。
だけど、それでも私たちは探し続けるのだ。
その最高の瞬間を味わえることを夢に見つつ、絶え間なく漂い続ける。



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