古来、政(まつりごと)とは祭り事、すなわち祭祀を顕す。
つまり、神へのお願いをすることである。
では、お願い事とは一体何か?
それは、災害が起きませんように、平和でありますようにと、祈りを捧げることに他ならない。

すなわち、人の上に立つ君主たるものの成すべきこととして、その民の安寧を計らなければ、いずれ人心が離れてしまうと言う事が、歴史的な事実として存在する。
人の上に立つとは、古来より人のために働くべき存在であると定められている。
人を見下し、搾取し、虫けらのように扱った君主や政権は、やがて人により倒される。
これを天命と呼ぶ。

まあ簡単に言えば、政治とは災害が起きないよう社会資本を整備する事が大きな仕事の一つである。
河川が氾濫して、周辺住民の財産あるいは生命が失われないように堤防を築き、遊水地を作ったり、はたまた街を区画整備して商業が発展しやすいようにしたり。
それはそれは、とても地道でだれからも褒められることは無く、あまつさえ無駄金使いなどと批判を浴びがちだが、その根底にあるものを見失えば、やがて大きな災害に対して恐ろしい結果を招く。

古代から近代にかけては、この事をきちんと行えば、その国は大いに発展する図式となっていた。
現代になってからもそれは基本原則としては大きく変わらない。



そんな社会資本の一つである、ダムを今回は紹介しよう。
最近は脱ダムなど、悪の建造物としての評価しか受けない建造物であるが、その姿はあまりにも見るものを圧倒させる。



ダムには、様々な機能が備わっている。
その中でも人の暮らしに最も関わっている機能として、以下のものがあげられる。
それは河川の水量を調節し、飲料水、農業用水、工業用水などが定量的に確保できるようにすること。
この定量的に確保することというのが、かなりミソなのである。

要は、飲み水はいつもこれだけ確保したい。確保できなかったら、水道は止まる。
農業用水は、稲作時にはこれだけ確保したい。確保できなかったら、米が作れない。
工業用水もいつもこれだけは確保したい。確保できなかったら当社に多大な損害が云々かんぬん…
などなど、水は利権の固まりだ。

これがダムが無かったら…
おそろしい水を巡った争いがおきるであろうことは、容易に想像できる。
実際、水利権というのは今でもドロドロとした攻防が、そこかしこで起きているのだ!

それを微妙に調整するのがダムや、堰などの社会資本構造物だ!
そう、すべては物事を円滑にするため、そして災害を防止するため、それらは存在する。


まあ、世の中は腐れているが、根本的には利害の調整という妥協の世界であるということだ。
綺麗な世界など、世迷言に過ぎない。





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