新たなる冒険の旅が、ようやくこの私に訪れる。
廃スペックなPCが今週末届くからである。
このPCにより、表記の「The Elder Scrolls IV: Oblivion」がおもしろおかしく遊べるはずだからである。
今、私は風邪を引いていて咳のしすぎで横隔膜が痛く、熱が37.5度あり、めちゃめちゃ苦しいが、なんとか今週末までに治さなければ…
ああ、どれだけ綺麗で滑らかな動きをしてくれるのだろうか…ぼーっとする頭で、その遊べる日をにやにやしながら待つとしよう。
廃スペックなPCが今週末届くからである。
このPCにより、表記の「The Elder Scrolls IV: Oblivion」がおもしろおかしく遊べるはずだからである。
今、私は風邪を引いていて咳のしすぎで横隔膜が痛く、熱が37.5度あり、めちゃめちゃ苦しいが、なんとか今週末までに治さなければ…
ああ、どれだけ綺麗で滑らかな動きをしてくれるのだろうか…ぼーっとする頭で、その遊べる日をにやにやしながら待つとしよう。
皇帝の鎮座する都、それが帝都である。
帝都には当然、帝国陸軍軍人が居て怪しげな魔術を行っているに違いない。
私はそう思っていた。
しかし、現実と予想は大きく異なるものだ。そこはファンタジックな光景の広がる町並みであった。
帝都への門の前で、その帝都上空を見ると巨大な塔が大きくそそり立っている。そそり立っているという表現はなにかいやらしい響きだ…
この塔は一体何の為にこのような高さが必要なのだろうか。
考えられるのは外敵の進入を事前に察知するための物見塔。
あるいは、望まれない皇帝の子供を幽閉するための座敷牢のような塔。
異民族に対し、我々の技術は物凄いものだぞという誇示のための塔。
はるか遠くまで大砲の弾を撃ち込めるようにした塔。
まあ、どれにしても高い塔だ。
こんな巨石積みの塔なら、地震が来たら一発で崩れるだろうな、と余計な詮索をしてしまうほどでかい。

大きな塔を見上げながら、私は帝都へと足を踏み入れた。
帝都の内部は、町が広がっている。
そこには一般の市民が住んでおり、商業区が広がっていた。
城壁に囲まれた内部に町が存在することから、よほど異民族からの攻撃を受け続けていたのであろうことが想像される。
すなわち、異民族は略奪と破壊を行う凶暴な集団であり、それから町を守るため、そして皇帝を守るために大げさな城壁を作ったのであろう。
町並みは、石畳の道路に、整然と家屋が立ち並んでいる。
まるできっちり都市計画されたかのような区画の中に、商店などが入っている。
至る所に線対称な区画が存在し、自分がどこにいるか迷ってしまうほどである。
町の中にはポスターなども貼られており、生活感が出ている。
しかし、様々な家の中を見たがトイレは無い様だ。
昔の中世ヨーロッパの人間は、うんこを窓から投げ捨てていたため、トイレは無い。という話を聞いたことがあるので、それを反映させているのであろうか…だとしたら道端は非常に不衛生的のような気もしてきた。

おっと話がおかしな方向に行きだした。ここで私は町人にいろんな情報を聞き、どうやら悪徳商人を懲らしめろというクエストを受けたようであった。
早速悪徳商人に会いに行くと、なめた態度をとられた。

頭にきたので、私はすぐさま抜刀し、悪徳商人に斬りかかった。
私の一撃をかろうじて耐えた奴は、店を放り出し、脱兎のように外へと逃げ出した。
やばい、表に出られるとまずい。
そう思った私はすぐさま追いかけたが、まんまと逃げられた。
そして奴の通報を受けたガードが私の前にやってきて、私を再度あの暗くじめじめとした牢獄へと連行した…

まあ、人斬りは良くないということのようである。

帝都には当然、帝国陸軍軍人が居て怪しげな魔術を行っているに違いない。
私はそう思っていた。
しかし、現実と予想は大きく異なるものだ。そこはファンタジックな光景の広がる町並みであった。
帝都への門の前で、その帝都上空を見ると巨大な塔が大きくそそり立っている。そそり立っているという表現はなにかいやらしい響きだ…
この塔は一体何の為にこのような高さが必要なのだろうか。
考えられるのは外敵の進入を事前に察知するための物見塔。
あるいは、望まれない皇帝の子供を幽閉するための座敷牢のような塔。
異民族に対し、我々の技術は物凄いものだぞという誇示のための塔。
はるか遠くまで大砲の弾を撃ち込めるようにした塔。
まあ、どれにしても高い塔だ。
こんな巨石積みの塔なら、地震が来たら一発で崩れるだろうな、と余計な詮索をしてしまうほどでかい。

大きな塔を見上げながら、私は帝都へと足を踏み入れた。
帝都の内部は、町が広がっている。
そこには一般の市民が住んでおり、商業区が広がっていた。
城壁に囲まれた内部に町が存在することから、よほど異民族からの攻撃を受け続けていたのであろうことが想像される。
すなわち、異民族は略奪と破壊を行う凶暴な集団であり、それから町を守るため、そして皇帝を守るために大げさな城壁を作ったのであろう。
町並みは、石畳の道路に、整然と家屋が立ち並んでいる。
まるできっちり都市計画されたかのような区画の中に、商店などが入っている。
至る所に線対称な区画が存在し、自分がどこにいるか迷ってしまうほどである。
町の中にはポスターなども貼られており、生活感が出ている。
しかし、様々な家の中を見たがトイレは無い様だ。
昔の中世ヨーロッパの人間は、うんこを窓から投げ捨てていたため、トイレは無い。という話を聞いたことがあるので、それを反映させているのであろうか…だとしたら道端は非常に不衛生的のような気もしてきた。

おっと話がおかしな方向に行きだした。ここで私は町人にいろんな情報を聞き、どうやら悪徳商人を懲らしめろというクエストを受けたようであった。
早速悪徳商人に会いに行くと、なめた態度をとられた。

頭にきたので、私はすぐさま抜刀し、悪徳商人に斬りかかった。
私の一撃をかろうじて耐えた奴は、店を放り出し、脱兎のように外へと逃げ出した。
やばい、表に出られるとまずい。
そう思った私はすぐさま追いかけたが、まんまと逃げられた。
そして奴の通報を受けたガードが私の前にやってきて、私を再度あの暗くじめじめとした牢獄へと連行した…

まあ、人斬りは良くないということのようである。

高い塔は良い。
はるか遠くの場所が見渡せられる。
そして、はるか遠くの場所からその塔を発見しやすい。
なにより、よい目印となる。
地理に疎い街の路地を歩き、道に迷い、途方にくれたとき、
ふと顔を上げると、そこには高い塔がそびえ立ち、
頭の中の蜘蛛の巣がふわっと取れるがごとく、自分の立つ位置を理解させてくれる。
進むべき道を導いてくれる先導者とも言えるだろう。
しかし、同時に塔は怖いものでもある。
私は高いところが苦手だ。
会社のビルの屋上から下を覗いたとき、
むき出しになった非常階段から下を覗いたとき、
私はまるで貧血のお姫様のごとく「ふっ」とその場に崩れそうになる。
文字通り崩れるのだ。足腰が立たなくなる。
よく、高層ビルの建設現場で作業をするクレーンなどをよく見かけるが、あんなものに乗って作業を行う方を見るたびに、正気の沙汰ではない、そう思うこともしばしばである。
まあそれはともかく、Oblivionの最初の街である「帝都」には非常に高い塔が存在する。

非常に高いとはいっても、中世の構造物としては高い部類であり、現代の塔などとは比肩にならないが、まあ重機などを使わないでよく立てられたものだと感心する位は高いといったほうが正しいかもしれない。
そしてその塔の周囲には、特に高い構造物もないためか、帝都イコール塔としても過言ではない。
そこに塔がある以上、そこは必ず登らなければならない。そして周囲の景色を確かめなければならない。
これはRPG全般に言える普遍的なルールである。
逆に言えば、登れない塔は、塔ではない。
ただの構造物だ。そこにあるようで、実はないという、実体性のない塔だ。
と、わけのわからない理念を訴えたくなるほど、私はそこに登らなければならないという使命を感じていたのは事実だ。
早速、塔の麓にいき、もしかしたらガードに阻まれるかも、あるいは不法に鍵を壊さなければならないのか、と思って居た所、塔の内部には特に問題なく潜入することが出来た。
塔の内部は意外に広く、どうやら元老院という機関が存在するらしい。
というより、もしかしてここは皇帝が住む場所なのか?
という疑念も沸いてきた。
そういわれると、普通皇帝などの重要人物の住む城が、この街に存在しないことに気付いた。
そして、この帝都の中にはこの塔の他に皇帝の住めるような場所はない。
これらのことから総合的に判断すると、この塔は皇帝の居城だ、という結論に達した。
ってことは、もしかして塔のてっぺん付近には皇帝の居住部屋などの重要施設があって、入れないのではないだろうか、と恐るべき疑念に駆られた。
結果的に、塔の中を歩けるだけ歩いた私の目の前に現れた現実は、
「塔のてっぺんには登れず、そこからの景色が眺められない…」
という、非情な結末であった。

はるか遠くの場所が見渡せられる。
そして、はるか遠くの場所からその塔を発見しやすい。
なにより、よい目印となる。
地理に疎い街の路地を歩き、道に迷い、途方にくれたとき、
ふと顔を上げると、そこには高い塔がそびえ立ち、
頭の中の蜘蛛の巣がふわっと取れるがごとく、自分の立つ位置を理解させてくれる。
進むべき道を導いてくれる先導者とも言えるだろう。
しかし、同時に塔は怖いものでもある。
私は高いところが苦手だ。
会社のビルの屋上から下を覗いたとき、
むき出しになった非常階段から下を覗いたとき、
私はまるで貧血のお姫様のごとく「ふっ」とその場に崩れそうになる。
文字通り崩れるのだ。足腰が立たなくなる。
よく、高層ビルの建設現場で作業をするクレーンなどをよく見かけるが、あんなものに乗って作業を行う方を見るたびに、正気の沙汰ではない、そう思うこともしばしばである。
まあそれはともかく、Oblivionの最初の街である「帝都」には非常に高い塔が存在する。

非常に高いとはいっても、中世の構造物としては高い部類であり、現代の塔などとは比肩にならないが、まあ重機などを使わないでよく立てられたものだと感心する位は高いといったほうが正しいかもしれない。
そしてその塔の周囲には、特に高い構造物もないためか、帝都イコール塔としても過言ではない。
そこに塔がある以上、そこは必ず登らなければならない。そして周囲の景色を確かめなければならない。
これはRPG全般に言える普遍的なルールである。
逆に言えば、登れない塔は、塔ではない。
ただの構造物だ。そこにあるようで、実はないという、実体性のない塔だ。
と、わけのわからない理念を訴えたくなるほど、私はそこに登らなければならないという使命を感じていたのは事実だ。
早速、塔の麓にいき、もしかしたらガードに阻まれるかも、あるいは不法に鍵を壊さなければならないのか、と思って居た所、塔の内部には特に問題なく潜入することが出来た。
塔の内部は意外に広く、どうやら元老院という機関が存在するらしい。
というより、もしかしてここは皇帝が住む場所なのか?
という疑念も沸いてきた。
そういわれると、普通皇帝などの重要人物の住む城が、この街に存在しないことに気付いた。
そして、この帝都の中にはこの塔の他に皇帝の住めるような場所はない。
これらのことから総合的に判断すると、この塔は皇帝の居城だ、という結論に達した。
ってことは、もしかして塔のてっぺん付近には皇帝の居住部屋などの重要施設があって、入れないのではないだろうか、と恐るべき疑念に駆られた。
結果的に、塔の中を歩けるだけ歩いた私の目の前に現れた現実は、
「塔のてっぺんには登れず、そこからの景色が眺められない…」
という、非情な結末であった。

闘技場、そこはいわゆる剣闘士達がその技を競い、殺しあう場所である。

パンとサーカスのうちの、サーカスの部分だ。
そしてその剣闘士達はいわゆる奴隷で「剣奴」かもしれない。
帝国市民はその闘技場に行き、終日繰り広げられる血生臭い戦いに狂喜しているに違いない。
だがその狂喜は、ある日恐怖に取ってかわられることとなる。
引き起こされる剣奴の叛乱、虐殺される一般市民、剣奴の卓越した殺しの技術により屠られる街のガード。そしてスパルタカスのようにローマから逃亡するのだ…
だがしかし、剣奴達を待ち受ける運命は、絶望のみ。
迫りくるローマの大軍。日々募る仲間同士の不満。食料不足。
あらゆる要素が彼の行く手をさえぎり、ただ全滅の時だけが近づいてくる。
彼等の求めているのは「自由」。ただそれだけなのに…
天国なんて、この世には存在しないのではないか?
今まさに、この瞬間こそ地獄ではないのだろうか?
希望とは一体なんだ?
そして未来とは?
そもそも我々の生きる理由とは何なんだ?
とまあ、妄想はさておき、実際のところこの帝都は古代ローマをモチーフにしている気もしないでもない。
奴隷自体は居ないようだが、似たような境遇の者達は居るようである。
さて、アリーナ自体の構造であるが、古代ローマのコロッセオのような壮大で華美な建築様式ではない。
コロッセオはアーチ型の形状を基本とし、その構造特性を駆使した石造りをしており、ローマ(ギリシャかな?)の建築技術の粋を集めたものとなっている。
それに対しこのアリーナは、基礎と柱の部分は石造りとなっているが、壁部分は木造となっている。また大きさ自体もそれほど大きくはなく、本当に小規模なつくりでコロッセオなどとは比較の対象にも上がらないほど粗末なものである。

では古代ローマをモチーフにしていないではないか、という点もあるだろうが、そこは建築様式という観点ではなく、パンとサーカスの、サーカスという部分においてモチーフになっているといったほうが正しいだろう。
端的にいうと、中世ファンタジーでは、闘技場は欠かせない代物だ、ということだ。
まあ、闘技場がある以上、もう一つ欠かせないものがある。それはヒーロー的な剣闘士だ。これが居ないと話にならない。いや、このヒーロー的な剣闘士が居ないRPGは、見たことがないと言っても良いくらいだ。
案の定、闘技場の地下には、そのヒーローらしきオークのファイターが居た。
これで私が闘技場へ来た目的の半分は達したといえよう。

あとの残りの目的は、試合観戦だ。
とりあえず適当にお金を賭け、試合を観戦した。
アリーナの内部は思ったより人が少なく、まるでうらぶれて廃業寸前の第三セクターの公共施設のような印象を受ける。経営はうまく言っているのか??と、余計な心配をしてしまうほどに人が居ない。
さて、試合が始まると、思ったよりも迫力がないことに残念な気持ちであった。
まあ、ド派手なエフェクトが出ても、それはそれで興醒めだが、まあこんなものかと、無理やり自分を納得させる。

ただ、やはりあまりにも退屈な試合なため、こうなったら自分も参戦するしかないかと、ふと思いついた。
そして客席から矢を番え、自分の賭けた相手の対戦相手めがけ、引き絞り、狙いを定める。
彼らはのそのそと戦っていたが、さすがに棒立ちで剣を振るっているわけでもなく、戦う位置は頻繁に移動しているため、狙いをつけるのが面倒であったが、彼らがふと動きを止めた瞬間、
まさに天が我に、この瞬間撃つべし!、と叫んだように聞こえたため、
私は躊躇なくその天の意を受けた矢を解き放った!
その矢は、まっすぐ相手に向かうと思われた瞬間、その矢は客席の欄干上部で
「カンッ」
と言う音を立ててはじき返された。
そう、客先の前面部には、見えないバリヤーが存在するようなのだ。
その後、何度か矢を放ったものの、やはりそのバリヤーに跳ね返されるようで、剣闘士たちの戦う場所に届くことはなかった。

無念…

パンとサーカスのうちの、サーカスの部分だ。
そしてその剣闘士達はいわゆる奴隷で「剣奴」かもしれない。
帝国市民はその闘技場に行き、終日繰り広げられる血生臭い戦いに狂喜しているに違いない。
だがその狂喜は、ある日恐怖に取ってかわられることとなる。
引き起こされる剣奴の叛乱、虐殺される一般市民、剣奴の卓越した殺しの技術により屠られる街のガード。そしてスパルタカスのようにローマから逃亡するのだ…
だがしかし、剣奴達を待ち受ける運命は、絶望のみ。
迫りくるローマの大軍。日々募る仲間同士の不満。食料不足。
あらゆる要素が彼の行く手をさえぎり、ただ全滅の時だけが近づいてくる。
彼等の求めているのは「自由」。ただそれだけなのに…
天国なんて、この世には存在しないのではないか?
今まさに、この瞬間こそ地獄ではないのだろうか?
希望とは一体なんだ?
そして未来とは?
そもそも我々の生きる理由とは何なんだ?
とまあ、妄想はさておき、実際のところこの帝都は古代ローマをモチーフにしている気もしないでもない。
奴隷自体は居ないようだが、似たような境遇の者達は居るようである。
さて、アリーナ自体の構造であるが、古代ローマのコロッセオのような壮大で華美な建築様式ではない。
コロッセオはアーチ型の形状を基本とし、その構造特性を駆使した石造りをしており、ローマ(ギリシャかな?)の建築技術の粋を集めたものとなっている。
それに対しこのアリーナは、基礎と柱の部分は石造りとなっているが、壁部分は木造となっている。また大きさ自体もそれほど大きくはなく、本当に小規模なつくりでコロッセオなどとは比較の対象にも上がらないほど粗末なものである。

では古代ローマをモチーフにしていないではないか、という点もあるだろうが、そこは建築様式という観点ではなく、パンとサーカスの、サーカスという部分においてモチーフになっているといったほうが正しいだろう。
端的にいうと、中世ファンタジーでは、闘技場は欠かせない代物だ、ということだ。
まあ、闘技場がある以上、もう一つ欠かせないものがある。それはヒーロー的な剣闘士だ。これが居ないと話にならない。いや、このヒーロー的な剣闘士が居ないRPGは、見たことがないと言っても良いくらいだ。
案の定、闘技場の地下には、そのヒーローらしきオークのファイターが居た。
これで私が闘技場へ来た目的の半分は達したといえよう。

あとの残りの目的は、試合観戦だ。
とりあえず適当にお金を賭け、試合を観戦した。
アリーナの内部は思ったより人が少なく、まるでうらぶれて廃業寸前の第三セクターの公共施設のような印象を受ける。経営はうまく言っているのか??と、余計な心配をしてしまうほどに人が居ない。
さて、試合が始まると、思ったよりも迫力がないことに残念な気持ちであった。
まあ、ド派手なエフェクトが出ても、それはそれで興醒めだが、まあこんなものかと、無理やり自分を納得させる。

ただ、やはりあまりにも退屈な試合なため、こうなったら自分も参戦するしかないかと、ふと思いついた。
そして客席から矢を番え、自分の賭けた相手の対戦相手めがけ、引き絞り、狙いを定める。
彼らはのそのそと戦っていたが、さすがに棒立ちで剣を振るっているわけでもなく、戦う位置は頻繁に移動しているため、狙いをつけるのが面倒であったが、彼らがふと動きを止めた瞬間、
まさに天が我に、この瞬間撃つべし!、と叫んだように聞こえたため、
私は躊躇なくその天の意を受けた矢を解き放った!
その矢は、まっすぐ相手に向かうと思われた瞬間、その矢は客席の欄干上部で
「カンッ」
と言う音を立ててはじき返された。
そう、客先の前面部には、見えないバリヤーが存在するようなのだ。
その後、何度か矢を放ったものの、やはりそのバリヤーに跳ね返されるようで、剣闘士たちの戦う場所に届くことはなかった。

無念…
辺りを穏やかなそよ風が吹いている。
足元に生える草は優しくなびき、
凪ぐ風に答えるかのように、木々はざわめき、
鳥は風に乗り、蝶のように飛び回る。
さえずる声は、辺りに響き渡り、その音は風に乗って遠くに運ばれる。
ふと、辺りを見渡すと、鹿の親子が楽しげに跳ね回っている。
鹿達は、私の存在に気がついた瞬間、脱兎のように逃げ出していく。
鹿達が逃げた先を見渡すと、そこには帝都の象徴的な尖塔が見える。
「私はこの世界に、ようやく足を踏み入れた」
と実感できた。
そう、私は帝都から冒険の旅に出たのだ。

当面の目的地は、Chorrolである。
なんと読むのかよくわからない地名だ。
クロルか?チョロルか?
チョロルだと、なんかショパン(Chopin)をチョピンと呼んでいるような印象があるので、やはりクロルが正解かもしれない。
いや、ショパンの例で行けば、ショロルが正解なのだろうか…

足元に生える草は優しくなびき、
凪ぐ風に答えるかのように、木々はざわめき、
鳥は風に乗り、蝶のように飛び回る。
さえずる声は、辺りに響き渡り、その音は風に乗って遠くに運ばれる。
ふと、辺りを見渡すと、鹿の親子が楽しげに跳ね回っている。
鹿達は、私の存在に気がついた瞬間、脱兎のように逃げ出していく。
鹿達が逃げた先を見渡すと、そこには帝都の象徴的な尖塔が見える。
「私はこの世界に、ようやく足を踏み入れた」
と実感できた。
そう、私は帝都から冒険の旅に出たのだ。

当面の目的地は、Chorrolである。
なんと読むのかよくわからない地名だ。
クロルか?チョロルか?
チョロルだと、なんかショパン(Chopin)をチョピンと呼んでいるような印象があるので、やはりクロルが正解かもしれない。
いや、ショパンの例で行けば、ショロルが正解なのだろうか…

このブログを開設して1年と半分が過ぎようとしている。
確かブログを始めたきっかけは、おもしろい文章とは何ぞや?という疑問に端を発している。
文章というのは、書けば書くほど、難しいと実感する。
自分の思っていること、伝えたいこと、そして理解してほしいこと。
それらを私はいまだにうまく表現することが出来ない。
一つの文章を練り上げて完成させた時、心の中では
「何かが違う、これが私の本当に伝えたい内容なのか?」
と、常に私の心に、何かが訴えかけてくる。
細かく物事を指定すると、それは本当に伝えたいことをぼやかしてしまい、
逆に大雑把に物事を捉えると、それは自分の伝えたいこと全てを満足させることが出来ない。
常にこの二者相反(確か英語でアンヴィヴァレンツだったか?)の苦悩に苛まれる。
これはものを書く際だけでなく、人との繋がり、あるいは仕事においても同じようなことがしばしばあり、なかなか的確な解決方法がまだ見出せていない。
そのようないろんな雑事を考えながら、では過去の偉大な名著と呼ばれる小説などは、一体どのような表現、あるいは構成を行って、それらの問題を解決してきたのか?
そんな感じで、最近は暇を持て余している事もあいまって、読書に励んでいる次第である。
村上春樹の本からまずはスタートしたが、この人は文章の表現がまた細かいこと細かいこと…
自分が文章を書く身になって読み出すと、その細かい描写や表現方法が驚くほど緻密で繊細で、
「スパゲティを茹でる」
という行為に何行も何行も労力を割いているのだ。
要約すれば一行で足りるのに、臨場感を出すため、または自分の知らない何かを表現するために、気を使って言葉を組み立てているのだ。
そしてその文章の構築を延々と、延々と行っているのだ。
自分が実際にその行為を行おうとすると、おそらく気が狂うだろう。
それほど、繊細なのだ。
天才と、変人は一歩違いとはよく言うものだな。と、つくづく思う。
だがしかし、慣れればどうって事もないような気もする。
時間をかけて、丁寧に文章を組み立てることが出来れば。
そして小事に気をとられて大きな流れを見失うこともなく、うまくやっていけば、その境地に達せそうな、そんな気楽な気持ちも無い訳でもない。
ちと傲慢だが…
まあ、とりあえず、新しいMMOが出るまでは、読書の期間だな、とふと思った。
Amazonで大量の本を購入し、浪費癖がついてしまったのが痛いところだ…
確かブログを始めたきっかけは、おもしろい文章とは何ぞや?という疑問に端を発している。
文章というのは、書けば書くほど、難しいと実感する。
自分の思っていること、伝えたいこと、そして理解してほしいこと。
それらを私はいまだにうまく表現することが出来ない。
一つの文章を練り上げて完成させた時、心の中では
「何かが違う、これが私の本当に伝えたい内容なのか?」
と、常に私の心に、何かが訴えかけてくる。
細かく物事を指定すると、それは本当に伝えたいことをぼやかしてしまい、
逆に大雑把に物事を捉えると、それは自分の伝えたいこと全てを満足させることが出来ない。
常にこの二者相反(確か英語でアンヴィヴァレンツだったか?)の苦悩に苛まれる。
これはものを書く際だけでなく、人との繋がり、あるいは仕事においても同じようなことがしばしばあり、なかなか的確な解決方法がまだ見出せていない。
そのようないろんな雑事を考えながら、では過去の偉大な名著と呼ばれる小説などは、一体どのような表現、あるいは構成を行って、それらの問題を解決してきたのか?
そんな感じで、最近は暇を持て余している事もあいまって、読書に励んでいる次第である。
村上春樹の本からまずはスタートしたが、この人は文章の表現がまた細かいこと細かいこと…
自分が文章を書く身になって読み出すと、その細かい描写や表現方法が驚くほど緻密で繊細で、
「スパゲティを茹でる」
という行為に何行も何行も労力を割いているのだ。
要約すれば一行で足りるのに、臨場感を出すため、または自分の知らない何かを表現するために、気を使って言葉を組み立てているのだ。
そしてその文章の構築を延々と、延々と行っているのだ。
自分が実際にその行為を行おうとすると、おそらく気が狂うだろう。
それほど、繊細なのだ。
天才と、変人は一歩違いとはよく言うものだな。と、つくづく思う。
だがしかし、慣れればどうって事もないような気もする。
時間をかけて、丁寧に文章を組み立てることが出来れば。
そして小事に気をとられて大きな流れを見失うこともなく、うまくやっていけば、その境地に達せそうな、そんな気楽な気持ちも無い訳でもない。
ちと傲慢だが…
まあ、とりあえず、新しいMMOが出るまでは、読書の期間だな、とふと思った。
Amazonで大量の本を購入し、浪費癖がついてしまったのが痛いところだ…
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